「考えることと悩むことの違い」~"考えすぎ"という言葉の誤り~

きーたと申します。

今回は、「考えることと悩むことの違い」というテーマで、僕の独断と偏見による超個人的な意見を述べていきたいと思います。

良く巷では、「考えすぎることは良くない」と言われますよね。あることについて深刻に考えすぎてしまうことは、当人の心を傷つけてしまうことに繋がりかねません。

例えば、職場の人間関係で悩んでいるとしましょう。「あの上司が理不尽すぎてやってられない。だがこの職場を出て転職する自信も気力もない。どうしたら、、」などと毎日仕事が終わっても考え、ついには休みの日まで考えてしまう。このような人は、いずれ心身を病んで仕事どころではなくなってしまうかもしれません。

周りの人は、「考えすぎだよ。」と言ってくることでしょう。ですが当人からすれば、「考えたくて考えているわけじゃないんだよ。」と言いたくなるでしょう。考えないようにするというのは非常に難しいことです。

僕はこのように一般的に言われる"考えすぎ"による問題は、"考える"ことと"悩む"ことを混同してしまっているため起こると考えます。

まず考えることとは、「ある問題に対しての解決策を導き出すこと」であると考えています。先ほどの上司の例で言えば、「どうすれば理不尽な上司に苦しまずに済むか?」という問題に対して、自分なりの答えを出すことが"考える"ことになるでしょう。

では悩むとは何なのでしょう?悩むとは、「同じ事柄に対して何度も同じような思考を繰り返すこと」だと思います。考え抜いて答えを出すことを放棄し、何度も同じことで考え込むことであるとも言えます。

つまり両者の違いは、「問題に対して明確な答えを出しているかどうか」と言えるでしょう。そして、”考えすぎ”が悪いのではなく、”悩みすぎ”が悪いのだと僕は思います。考えすぎ=問題に対しての答えを出すために考え続けることであるとすれば、むしろ考えすぎることは全く悪くないと思います。

では、"悩みすぎ"を防ぐためにはどうすれば良いのでしょうか?それは、「問題に直面した時は徹底的に考え、自分なりの答えを出して行動する」ことだと思います。

ここで、この答えが必ずしも正しくある必要はありません。考えて出した結論に基づいて行動した結果、問題が解決しなかったのなら、また別の解決策をまた考えれば良いだけのこと。

先ほどの上司の例を挙げて考えてみましょう。今回の問題は、「上司の理不尽さに苦しまないためにはどうすれば良いか?」とします。

まず上司の理不尽さから逃れるためには、以下の方法が思いつきます。

・理不尽なことを言う上司を変える

・理不尽なことを言われても気にしない自分になる

・環境を変える

まず一つ目の理不尽なことを言う上司を変えるというものですが、これは現実的ではないと僕は思います。なぜなら、上司は大抵の場合はある程度歳を重ねており、長年かけて築き上げられた性格・価値観を一部下が変えることは不可能に近いと思うからです。

では自分を変えるのはどうでしょうか?これは容易ではありませんが、変えられる可能性はなくはないでしょう。ここで重要なのは、自分の価値観を明確にすることです。理不尽という言葉は抽象的なので、具体的にどの発言が自分の癇に障るのを考えていきます。例えば、仕事でミスをした時、明らかに上司にも非があるのに自分に全て責任を押し付けてきたとしましょう。この場合は、「自分の非を認められない人が嫌いである」という価値観があることに気付きます。ではこの価値観に沿い、自分は自分の非を受け入れることができているのでしょうか?責任を押し付ける上司に対して不満を言うのではなく、「自分の悪かった点はここだ。私は改善点があることを受け入れ、次に生かしていくことで成長できる。あの上司は、自分の非を受け入れないから成長できない。いずれは追い抜かしてやるから見てろよ。」と一歩引いて考え、怒りを働くパワーに変えることが出来るかもしれません。とにかく、自分を変えることを選ぶ場合は、自分の価値観と向き合いポジティブに解釈しなおすことが重要だと思います。

最後に環境を変えることですが、これが手っ取り早く確実に嫌な上司から逃れる方法でしょう。何も環境を変える方法は転職だけではありません。異動を申し出ることも方法の一つとしてあります。もし転職したいが、他社で通用するスキルも自信もないのであれば、"新たなスキルを身に付ける"というのが次のアクションになってくるでしょう。

今回上げた方法はほんの一例ですし、考えればまだまだ今取れるアクションは出てくるでしょう。とにかく、「問題に対して考え抜き、自分なりに答えを出して行動してみる」ということが、"悩みすぎ"を防ぐことに繋がると思います。

ここで、考え抜いて行動すること以外に、+αで重要なことがあると思います。それは、「考えた結果をアウトプットすること」です。「自分はこう思う。」と友達に意見を共有するでもいいですし、僕の様にブログを書くのも手です。(僕自身、何度も悩みすぎないためにブログを書いているという側面もあります。)

考えた結果をアウトプットすることのメリットは2つあると思います。

・考えた結果が脳裏に刻まれる

・アウトプット相手からのフィードバックを期待できる

まず一つ目の「考えた結果が脳裏に刻まれる」ですが、自分の考えを外に出すことは自分出した結論を忘れず覚えておくのに非常に有効です。考えた結果を覚えていれば、同じ問題に直面した時に「ああこれはこういう結論を出したんだったな」と思い出し、何度も悩まなくなるでしょう。

2つ目のフィードバックですが、これは自分の考えの"偏り"を修正するために重要です。自分の考えを他人に話し、その相手が「ここは賛同できるけど、ここは違うんじゃない?」と意見をもらえたとしましょう。自分の意見を否定されたことにイラっとするかもしれませんが、そこは抑えて他人の考え方を聞いてみると、意外にも自分の考えが偏っている、あるいは明らかに誤っていることに気付くかもしれません。これは自分の考えをさらに深めてブラッシュアップすることに繋がるので、考えたことは友人なり家族なりに積極的に話していきましょう。

まとめです。今回は「考えることと悩むことの違い」について考えていきました。

私の結論としては、

・"考える"と"悩む"は、問題に対して明確な答えを出せたかどうかという点で異なっている

・"悩みすぎ"は、問題に対する明確な解決策を考えだし、行動してみることで防げる

・考えた結果をアウトプットすることは、同じことで悩まないためにも、考えの偏りを修正するためにも重要である

ということになりました。

今回書き記した内容はあくまで僕の主観ですが、読み手のあなたに何かを考えるきっかけになれば幸いです。また今回のテーマに対して、あなたの意見をコメントに書いていただけると、より一層嬉しいです。

では今回は以上になります。最後までお読みいただき、ありがとうございました!